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いい日本美術がみたい! 千葉市美術館~酒井抱一 編 [日記]

東京方面ではいい展覧会がいっぱいやっているので、見てきました。

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千葉市美術館の「生誕250年記念展 酒井抱一と江戸琳派の全貌」

を見てきました。

私と酒井抱一の関係は、ちょっと古いです。

香港がまだ、中国に返還される前、私は香港の博物館を訪れたののですが。

その当時、すでに自分の着物の仕立てはしていたので、他の民族衣装にも興味があり、

その博物館で、男性用の18世紀末の普通の人の”長袍”を見たときに、

「ああ、日本人が着物の布が高価でもったいなくて、袖の袂が切れなかったときに、中国の人たちは、物が国内にいっぱいあって、袖の布も平気で活動的に切れたんだなあ・・・」と思ってしまい、

強いカルチャーショックを受けました。なぜなら、”長袍”の構造はほとんど、日本の着物と同じで、肩山で布を切り返さず、前後ろ身頃がつながっていて、脇の部分を袖下、脇に掛けて丸く切り取っているのです。(つまり、袖を一枚の身頃からつなげて切り出す、片身1枚、衽一枚仕立てなのです)

で、その切った部分は、端袖という部分に使われるのかもしれませんが、そもそも、大幅の布をそのように贅沢に切って仕立てる”長袍”というものを普通の人が着ていたという事実に、

その当時の、中国大陸と、日本という国力、あるいは、物資の潤沢さの違いを感じてしまったのでした。

もっとも、日本にも奈良時代に、そういった騎馬民族系の衣装が入ってきていたことは知っていましたが、余り布(端布)のでる、利用効率の悪い仕立てだったので、どうしても、定着しなかったのでは・・・と私は考えていました。

ちがう系統のちがう民族衣服なのは分かっていますが、それが、結局は豊かさの違いなのだと思ってしまって、その後の、複雑な思想のある中国美術などを見るたびに、”日本の美術”といっても、なんだか中国の焼き直しで、しかも、ちょっと貧乏くさいなあ、豪華じゃないなあ・・・と思ってしまっていました。

私にとって、海外の文化に接してこれほど大きなカルチャーショックを受けたのははじめてで、ヨーロッパの石造りの大聖堂を見ても、ふ~んと思っていたのに、かなり根本的に、叩きのめされた気持ちでした。

そんなときに、ふと民放の”極める~日本の美と心”というTV番組でみた、酒井抱一の夏秋草図屏風で、

目を洗われるような、すがすがしい”日本美”というものを再発見したような気がしたのでした。

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(千葉市美術館ホームページより。東京国立博物館所蔵)

この屏風をTVでなめるように見て、本当に圧倒的な美しさを感じました。

それは、ギリシャの幾何学模様が、理屈ぬきに、世界全体で、今も美しいと感じられるように、

この屏風も理屈ぬきに”うつくしいもの”だったのです。

それは、余白ばっかりで、普通の草を写実的に描いただけなのに、何でこんなに美しいんだろう・・・

私には、中国美術の複雑怪奇で多重的な奥行きのある美術に圧倒されながらも、

本能的に、

「こっちの方が好ましい。」

と思ってしまいました。

そのときに、わかってしまいました。

私は、こういうのが好きなんだ。昔の日本人は中国美術を十分すぎるくらいに知っていたけれど、

自分達の好きなスタイルをあえて選んだんだ・・・と。

源氏物語でも明らかなように、江戸時代までフォーマルなのもは中国式とされてきました。

それでも、朱を塗らない白木の柱にすがすがしい美しさをかんじたり、

せっかくの貴重な布だし、なんか豊かな気持ちになれるから、袖の袂が邪魔でも残したその感覚

(大袖のうちぎは、歴史からだんだ見直されなくなってしまいいたにもかかわらず)。

シンプルなものの中に美を感じる感覚。

勿論、室町、桃山と豪華で派手な時代を超えて、この感覚にたどり着いたのだと思うけれど、

これが好きなんだ、他の豪華な民族衣装に比べて、少しでも、無駄な布を出さないように、貧乏症で、かさばっていなくてもいいんだ!

不便で、実用的でなくても、生活を少しだけ豊かに感じさせてくれる着物が好きなんだ!

と飛躍した考えにたどり着いたのでした。

だから、この酒井抱一の夏秋草図屏風が自分にとってどれほど特別な絵なのかは、語りつくせません。

実際に見た感想は、

「懐かしいなあ。静かだなあ。」

でした。何度も何度も写真で、その屏風を見て、あまりに好きすぎて、自分でも実物大で、秋草の方を模写してしまったりしていたので、

本物をやっと近くで見られたときには、驚くというよりも、懐かしい、あの線も、この緑青(ろくしょう)の骨描きのない葛の蔓も、銀地の余白の部分に残る下地の刷毛目の跡さえ、懐かしい・・・と思ってしまいました。

この屏風は、抱一が師と仰ぐ尾形光琳の「風神雷神」の裏に描かれる予定で製作されました。

そのため、風神の裏には、野分の風に吹かれる秋草が、雷神の裏には夕立に打たれた夏草がしなだれる姿が、出光美術館所蔵の夏秋草図屏風草稿を入れていた袋にも、意図して書かれたことがわかっています。

今年、3月のはじめに、出光美術館でこの「夏秋草図屏風草稿」を見たときに、

ああ、自分も似たような下描きをしたと、不遜にも思いました。

それから、こうして、「夏秋草図屏」を見ることができて、感無量でした。

私は、しばらくこの屏風の前から離れることができませんでした。

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それから、今回、はじめてみた、陽明文庫所蔵の「四季花鳥図屏風」は、圧巻でした。

よくなれた筆遣い、豪華な金銀の切り箔。

光琳の屏風では銀が変色してわからなかった雰囲気が、この屏風では、銀色の部分が、金よりもずっと軽やかに、重くなりがちな金屏風を本当に軽くそして、たおやかな風情にまとめていました。

ここまで来ると、もう、琳派とはいえないかもしれないけど、光琳100年忌からの1年後のこの作品。抱一は、56歳。彼が到達した江戸琳派は、軽やで、瀟洒な境地に着地したようでした。

ちなみに、銀地の”夏秋草図屏風”は、この四季花鳥図屏風の5年後に製作されたものです。

夏秋草図屏風は、11月13日まで展示されているようです。


2011-11-11 14:11  nice!(14)  コメント(6)  トラックバック(0) 
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コメント 6

whitered

おおっ、すごいですね!中国芸術をも凌ぐ酒井抱一の夏秋草図ですか!私もこの図が大好きです。東京へ行ったとき、国立美術館でこの絵のグッズをいっぱい買って帰りました。前に若冲ブームの次は抱一だと書いたことがありますが、いよいよ到来ですかね。本物を早く見たいです。
by whitered (2011-11-11 15:11) 

nano

色から感じる文化の影響は確かに多いですね?
by nano (2011-11-11 16:50) 

koji

whitered さん。
まいどです。コメントありがとうございます~
ミホ・ミュージアムの辻館長が、若冲の火付け役で、NHKも散々やっていたので、ブームになっていましたね。
抱一は、熱狂するには、クールすぎるかな・・・とか思ったりします。もう少し、絵師としての毒があると、面白いと思われるかもしれないけど・・・
次は、曾我蕭白といううわさも聞きましたが・・・
ただ、私にとっての酒井抱一は、ちょっと特別ですね。ヘタな絵もいっぱいあるけれど、だんだん努力して上手になっていっているところとか、ある時点で到達した、自分の美意識とか、興味深い存在です。
whitered さんも、お好きなんですね。(#^.^#)抱一仲間!
そちらの方にも、巡回しますか!是非、お時間がありましたら、ご覧ください!
by koji (2011-11-12 11:55) 

koji

nano さん。
まいどです!コメントありがとうございます。
はい。それぞれの文化によって好きな系統の色というのはありますね~
日本はどう考えても、中国文化圏なので、無視することはできないけれど、
そうじゃない”独自の”部分もある、と思ってもいいのではないかと考えています。
by koji (2011-11-12 11:59) 

Akira

素敵ですね…
僕もこの屏風は好きかも。
落ち着くような感じがしますね。
実物を見たいなぁ~
by Akira (2011-11-13 00:14) 

koji

Akira さん。
まいどです!コメントありがとうございます!(^o^)丿
いいでしょ!いいでしょ!
実物は、冴え冴えするよな、さみしさがありますよ。
切れるような冷たさは、彼が姫路城主酒井雅楽頭の次男で、
武士だったからかもしれないですね。
そういった、バックグラウンドを無視しても、ものすごい逸品です。
いいですよ。すごく。汗
by koji (2011-11-14 15:32) 

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